いっぱい笑うきみが好き

大倉くんと関ジャニ∞が大好きな一オタクの私見。みんなが幸せそうに笑っててくれればそれでいい。

幸せとは

 オードリー若林さんのエッセイ『ナナメの夕暮れ』で私が印象に残っている部分がある。

他人の正解に自分の言動や行動を置きに行くことを続けると、自分の正解がだんだんわからなくなる。

(中略)

 多様化された世の中では自分の中の正解に自信が持てなくなる。なんとなく正しいことを言ってそうな、有名人のコメント、Twitterのアカウント。誰かの正論に飛びついて楽をする。自分の中の正解と誰かの正論は根本的に質が違う。

もちろん、人の意見など聞かないという極端な話ではないし、自分の意見を臆せずに吐き出そうという単純な話でもない。

自分の意見は殺さなくてもいいということだ。

自分の正直な意見は、使う当ての無いコンドームの様に財布にそっと忍ばせておけばいい。それは、いつかここぞという時に、行動を大胆にしてくれる。

*1

Twitterにあふれるいろんな人のつぶやきに流されてしまわないように、私がここ最近考えていたことを、私の中の正解として、今後の私のために残す。

しばらく放置していたブログに久しぶりに書くことが楽しい気分のことじゃないのは心苦しいけれども、これから先、不安に押しつぶされそうになることや、つらくなることがあったとしても、

『少なくともあのときのわたしは前向きに、あなたの大切なものを信じていたよ』

と思い出し自分を元気づけられるように、今思っていることをここに残しておこうと思う。

 現状

正直、今のわたしは疲れている。

 

それは関ジャニ∞を応援することに対してでは全くない。

週刊誌の記事に端を発し、毎日毎日他の人の不安を煽るようなネガティヴなことと誰かを悪者扱いするような文言が並ぶ文章が定期的にTwitterのタイムラインに流れてくることに疲れている。

 

関ジャニ∞の姿を見ると自然と笑顔になって元気になる。関ジャニ∞の声を聴くと嬉しくなる。これは変わらないのに、そうやって元気になったときにその気分を損ねるような不安の言葉をつづった文章や不満を連ねた言葉が連投される。これが続いていると本当にしんどくなる。

TwitterSNSは個人の意見を自由に書いていいところだから、不満に思うことを素直に投稿することも、不安な気持ちを誰かと共有したくて言葉にする気持ちも理解はできる。ただ、勝手な深読みで他人をネガティブな方向に引き寄せたり、ファンのふりしてアンチのような発言をしていたりするのをしばしば見かける。また、楽しんでオタクをしたいから気にしないようにしていつも通りいる人たちのことを、“能天気”、“尊敬する”や“お花畑”のように揶揄しているかのような言葉が伴うことが多い気がしている。それがしんどくてたまらない。

 

 私がしんどいことへの不満を書き連ねていることも同じだと思うのでこれくらいで止めておこう。

 

 メンバーインタビューを読んで感じていたこと

昨年末あたりから、舞台関連などで安田くんがいろいろな雑誌のロングインタビューで現状について話しているのを読んだ時から、すばるくんが抜けてこれからどうやっていくのか、6人の関ジャニ∞の在り方を見つけるにはだいぶ時間がかかるんだろうなと思った。安田くんはすばるくんが抜けたことを“ひずみが出た”と表現していた。GR8ESTツアーは台風による公演延期はあったものの無事完走できたけど、ツアードキュメント映像を見ても全員必死で走り抜けた感じだったし、安田くんを支えながら「立ち止まらずにとにかく始めなきゃ」という感じだった。そうやって完走したけど、安田くんは『今年中に解決できたかというと、まだできてはいない。(中略)今はまだ、そのひずみをなんとか立て直そうとしている段階です。』と言っていた。

このインタビューが出る少し前から大倉くんと横山さんが関西ジュニアのプロデュースのお仕事を始めたが、その時大倉くんはラジオで関西ジュニアのためにだけじゃなく『お勉強させていただきたいという気持ち』でプロデュースに携わっていると言っていた。

だからツアーが終わってひと段落した今は、それぞれが各方面で活躍してそこで得たものを今後の活動に生かせるようにするための時間なんだと思ったし、その時間が長くかかるかもしれないことは覚悟していた。なのでたぶん今までの関ジャニ∞の年間スケジュールのようには動かないかもしれないから気長に待とうとも思った。

それから3か月経った〈音楽と人〉のインタビューでグループを続けることや終わりについて話しているのを読んだ時に、少しの不安を感じ、胸のどこかにはいつかまた終わりが来ることへの覚悟は持っておかねばならないのかなとは思ったけれど、そりゃ今までの14年とガラッと変わってできた“ひずみ”がたった半年で小さくならないよな!と思うと腑に落ちる部分があった。

 

自担からのことば 

そんな中でも新曲crystalをリリースしてくれたし、今年の15周年記念ツアー十五祭も発表してくれた。crystal発売に伴う歌番組出演はなかったことは寂しいと思ったし、「なんで出ないの?」と何度も思ったが、大倉くんは足を骨折している状況だからバンド演奏はできないし、亮ちゃんもドラマの撮影が佳境だっただろうからタイミングが合わなかったといえばそれまでだと思った。

 

3月9日のラジオの中で災害時のTwitterのデマについての会話の中で

『そういう時に信じられる情報をちゃんとね、持っておかないとね。ラジオですよ。信用してください。』

と言った。私が不安になっていることとは全く関係がないことについて話してる会話の中の一言だったけど、ストレートに刺さってきた言葉だった。

 

その翌週の3月16日の放送の中では*2

 寝るときに無になると考えることが、ネガ(ティブ)に行きすぎてもう嫌やってなるから違う音でごまかしたい。

生死にかかわる役が多い。

途中からいつ終わりを迎えるかわからないと、それを意識して生きるようになった。何歳からか。その時から自分の中で達観したというか。嫌いな人のために生きる必要はないと、自分の人生なんだから。だから嫌われてもいいし。

友人に聞いた話だけど、自分に関わっている10人中6人が興味ない。2人くらいはきらい。2人くらいは大好き。この好いてくれてない8人にもできれば好きになってほしいとおもって気を使って生きたけど、その瞬間、この好いてくれてる2人以外はどうでもいいと思うようになった。好きな人にはちゃんと(心こめて)あいさつするし、どうでもいいと思ってる人にも形式的には挨拶はするけど、その時から割り切って生きるようになったら楽になった。

 

このラジオのリスナーもそうだけど、数ある番組の中からこの番組に合わせて聞いてくださってる方だと思うんですよ、ほぼほぼ。でも、例えばテレビに出るとなると、僕らを選んでみてくれる人とチャンネルそのまま置いといて何の気なしに見てる人たちといらっしゃいますけど、そうやって僕たちのフォロワーでいてくれる人には僕はちゃんとしなきゃなと。まぁ、言えることとか言えないこととかお仕事上ありますけど、なんか誠心誠意、誠実にいたいなというか。っていうのは思うんですけど、やっぱりね、そうやってどうでもいいとか、ま、嫌いな人はもちろんわかりますよ。あ、俺のこと嫌いなんやろなって。嫌いな人はもうわかるし、俺も嫌いやしそんな人(笑)。自分のこと嫌いなんやから(笑)。そんなところに目を向けてたら、でも目を向けがちなんですよ、嫌いな人達に向けて。なんかもう「なんやねん?」てなりがちなんですよ。なんかそこに大事な時間費やしてしまうんですよ、人って。「なんであいつ俺のこと嫌いやねん。俺も嫌いやわい!」っていうことに時間を多く費やしがちなんですけどどうでもいいやん!と。そこじゃない好き!って言ってくれる人たちのために仕事してるとかっていう有意義な時間の使い方が目に見えてるのに、やっぱりそのネガティブのほうに引っ張られちゃうというか。やっぱもう強いんですよね負の力って。
<優くん:重力のようだよね、放っておくとそっちになっていくよね>
だから80人好きって言ってくれる人がいても、たとえば5人嫌いっていう人達の力のほうが強いんですよ俺らにとって。そっちにもう今やSNSもそうやし、俺らの世代で言うと2ちゃんねるとかですか?っていう人たちはもうそこに集まる訳ですよ。で、もっと俺らのことをちゃんと思ってくれてる人はもう何倍何十倍といるのにそこに目が行っちゃうという…。いやもうこれはすごく無益な時間だろうと思っちゃうんですよ。でもやっぱり引っ張られちゃうんですよね、そっちに。

ライブ中トロッコで客席内を通ってると、好きでいてくれて手を振ってくれる人やもう手も降らずふわ~っと、睨む人もいるし。睨む人を見てると「んにゃろ!俺も別に好きちゃうわい!」とか思ってるとさ、ライブ中その感情になっちゃうでしょ?<そこに吸い込まれてるよね>そう、でも「俺のこと嫌いなんや~、でもわざわざそんな態度示さなくても…」と思いながら、でもその人たちに別にアピールするわけじゃなく、「あ、嫌いなんですね、じゃあ僕待ってくれてる人がいるんで」って違うほう向くだけで自分はすごくハッピーになれるという。そういうことやってると仕事中だけじゃなくプライベートでも好きじゃない人と時間を過ごすことがどんだけ無駄か。


仕事上得だと思ってる付き合いでいいものが作れますか?仕事が別に増えなくてもいいんです、ぼくは。だからそのストレスがたまるとか、この人のことを愛することができないという人とはもう付き合いたくないんですよ。


でも嫌われてもいいって思いません?別に。ほんまは嫌われたくないっていうのが人のね…。
<嫌われてもいいっていうのが正しいかはさておき、ある意味ではそういう仕事。ただ、今このラジオ聞いてる人の中で大倉も高橋も、もしくはどっちか嫌いだと、いう人がいるかもしれない。(中略)一説によると脳みそはその者にフォーカスを当てることができるけど好き嫌いは判別できない。潜在意識と顕在意識があって、あの人なに!っていうのは潜在意識でその人にフォーカスを当ててるけど脳みその中では好き嫌いは判別できない。嫌いなのに見ちゃう。変えなければいけないのは顕在意識じゃなくて潜在意識の方で、深層心理の中で何にフォーカスを当てて生きるか。嫌いなものにフォーカスを当てて生きちゃだめだ。疲れたときとか本当に重力に従うかのように>

疲れたときに出ちゃうよね。それってもう気を使えない状況だから他人に。他人の想像力が欠けちゃう。

自分が見返りも求めてないし、自分が愛を与えられる人には与えていいじゃないですか。それを返してくれよと求めだしたらそれは愛じゃない。与えるもんだと思ってるから。無償の愛を与えられる人物と出会えることが幸せだと思うので。お金でもないし。対価というものを求めてる時点で違うから。それが全部の仕事もつながってくると思うんです。僕たちは一応選択できるわけじゃないですか。仕事もそうだし。このラジオもずっと続いてるっていうのは僕たちが必要だと思って、このスタッフの人たちを好きだと思ってやっているから、俺らが二人選択してやってるっていう仕事だから。別にこれを始めてくださったことがうれしいじゃないですか、僕たち違う事務所で。それを始めてくださった方に感謝もありますから、そこに返していかなくちゃなっていう思いがあるから続けられているというか、続けなくちゃいけないというか。生の声をね、届けられるところも僕はここしかないので、大事だなと思っているんですけど、それが別に愛情を感じなかったら僕はもうマネージャーさんに「あの仕事、すいません、やめたいです」っていうかもしれないし。そういう仕事の仕方になっちゃいましたね。《無》を意識するようになってから。

<あわよくば両想いでありたいよね。大倉くんと高橋くんとあなたという三人でやってるラジオだと思い続けてやりたいなと。>

 

もうすぐ去年のあの会見から1年が経つ。あのときもたくさんのマスコミがいるのに、思い切り不貞腐れた様子で会見に臨んでいた自担*3。ファンの立場に立って私たちが思いつくような疑問はすべてぶつけてくれていた自担。そこから何かあるたびにラジオで素直に思っていることを話して安心させてくれていた自担。

この一年ずっとまっすぐ私たちのことを思って行動してくれていた。

これだけ誠実にファンに向き合ってくれてるのに、誰が書いたかわからない真偽不明の週刊誌の記事なんかより、信じるべきなのは自分が見てきたものとどんな時でもファンに誠実でいてくれてる自担やメンバーの言葉なのではないのか。

ネガティブはネガティブしか呼ばない。

 

14年かけて築いてきたものに“ひずみ”が生じたのだから、もう一度地面を固めて立て直さなきゃいけないとなると普通はものすごく多くの時間が必要となると思う。ある程度の充電期間を設けるとか活動休止にするという選択肢もあっただろう。それでもこの一年間、「新しい関ジャニ∞を始めるんだ」というしんどい道を選んで進んできてくれている。それがどんなにありがたいことか、改めて実感させられたような気がする。

 

信じること

不安がよぎってしんどくなったとき、ふと思い出すのはGR8ESTツアー東京9月9日公演のラストの挨拶の光景。マルちゃんの変なテンションの挨拶のおかげで異様な空気ではあるけどみんなずっと笑ってて、eighterって呼ぶことをずっと恥ずかしがってた亮ちゃんが思いっきり「eighter!!!!!!」って叫んで会場が一気に沸いて一気に泣いたあの光景。あの瞬間、この時間が終わらなければいいのにとめちゃくちゃ強く思っていたし、これからもこの空間で笑いたいなと強く思った。あの時見たものに嘘はないと思うし、あの時の感情、「これからもついて行きたい」という気持ちを忘れたくないし過去のものにしたくない。

 

今回の十五祭ツアーが発表されたときに添えられていたコメントでも大倉くんは、こちらの不安を察しているかのように、

「今年のツアーは15年間のさまざまな関ジャニ∞を詰め込んだ僕たちなりの王道LIVEに出来ればなと思っています! 全ての方への感謝を込めて…全てのeighterに笑顔になってもらえる最高で最強のプレゼント箱を持って6人楽しみに会場でお待ちしています!」

と言ってくれている*4

 

デイリースポーツの連載コラムで横山さんも、

関ジャニ∞のツアーもようやく発表になりました。あとはどう皆さんを楽しませるかです。皆さんから15年間応援していただいた思いと、僕らも15年やった成長を見せたい。15年前は「ついてきてください」って言ってたけど、ついてきて良かったと思えるような姿を見せなきゃいけない。「これからもついて行きたい」と思われるような関ジャニ∞であるための意思表明のライブにしなきゃいけないなと思ってます。楽しみにしていてください!

と綴ってくれている。

 

こんな風に言ってくれるんだから絶対悪いようにはしないだろうし、もう信じるしかない。

 

《幸せとは 星が降る夜と眩しい朝が 繰り返すようなものじゃなく 大切な人に降りかかった雨に傘を差せる事だ》*5

 

今回のゴタゴタが降りかかった雨なんだとしたら、「メンバーを信じてこれからの楽しみを待つ」ことが私たちに差せる傘なんじゃないか。その傘を差すことが“お花畑”と揶揄されたとしても気にしない。バカだといわれても、誠実に向き合ってくれる人、人達のことをいくらでも信じよう。

そう決めてこれを私の中の正解とする。

 

次に見られる関ジャニ∞の姿が全員心から笑顔で楽しんでる姿でありますように。

 

 

 

いつかこれを読み返しているわたしへ。

その時もし何か辛いことが起きていたとしても、あなたが大好きな人たちは誠実にまっすぐファンに向き合ってくれる人たちです。その大好きな人たちを信じ、自分が見てきたものを信じてここまで来たんだから、後悔なんてするなよ。この不安が杞憂に終わり、ただただ恥ずかしさしかない状態でこのブログを読んでることを願います。

 

 

*1:24ページ~ 第一章 『自分の正解』より抜粋

*2:後半ほぼ書き起こしなのでめちゃくちゃ長いよ

*3:そのあとのラジオでその様子を反省してたのもたまらなく可愛い

*4:ちょっと文面から静かな怒りを感じたけども

*5:backnumber『瞬き』